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 今、この瞬間に私たちがものを考え、目のまえで起こっている出来事に対してなんらかの判断を下し、なんらかの行動をなすとき、その一連の思考の経緯には「言葉」というものが常に基軸になって働いています。これはどのような学術分野においても、またどのような日常生活においても、はるか昔に私たちが言語という記号体系を獲得したとき以来、揺らぐことなく共通している方法論です。
 この言葉という方法論を美術のなかで考えてみると、たとえば私たちが絵画作品をまえにしたとき、その色彩やタッチになにかを感じ取り、また絵画の文脈のなかでその作品がどのような位置付けになるかを考え、「この絵は〜〜だ」といったような作品に対しての思いを言葉にします。そしてその言語化をなすまでに、ひとは少なからず緘黙のなかで言葉を巡らせていきます。どのような言葉であればその絵のことを、その絵に対する自分の思いを言い表すことができるのであろうかと。
 本展覧会では、思索の根幹とも言えるその「緘黙」に焦点を合わせ、四人の作家それぞれの言葉が作品として表出される場=景色をめざします。河田政樹(1973年東京生まれ)は、観葉植物やラジオを写真作品や絵画作品と並列させ、そこにある無音の言葉に耳をすませ、目を凝らすような作品を展開しています。丹羽康博(1983年愛知生まれ)は、さまざまな思案のなかから言葉を選びとるように、空間のなかに詩としての彫刻を見出そうとしています。村田仁(1979年三重生まれ)は詩人として活動しながら、美術のなかにおいて詩をよむことで、そこから浮かび上がる言葉のありかたを作品として展開しています。伊藤正人(1983年愛知生まれ)は、文章を視覚的に整えることでそこから見える景色を表言しようとしています。
 この四人の作家の作品を矢田ギャラリーで最も広い空間である第一展示室に共存させることで、緘黙の言葉はさまざまな動きやかたちを伴って空間内を飛び交い、鑑賞者自身の内にある言葉と共振していきます。作品があり、そこにひと(鑑賞者)の動線が生じることによって、言葉はさらに躍動し、景色そのものをかたち作っている要素のひとつになります。本展をとおして、鑑賞者がその景色のなかにおいて自らの言葉を模索し、言葉そのものの存在を改めて認識するきっかけになればと思っています。
※緘黙・・・(かんもく)口を閉じてしゃべらないこと。だんまり。